三宅 芳夫 on Nostr: 日本の新劇は小山内・土方の築地小劇場にはじまる。 ...
日本の新劇は小山内・土方の築地小劇場にはじまる。
同時にドイツの表現主義の洗礼を受けた村山知義、千田是也に佐野碩などが加わり、土方派を排除。
当時非合法状態だった共産党の代行として、プロレタリア演劇の「政治の優位性」を推し進め、内部抗争を繰り返しながら、壊滅に至った。
戦後文学の世界では埴谷、平野謙、荒正人等が、30年代の「政治の優位性」戦略を批判したが、演劇の世界では表立った批判はなかった。
「俳優座」にしても「民芸」にしても、30年代の経験で十分に「懲りていた」のである。
この問題に自覚的だったのは、山本安英で1948年、木下順二と「ぶどうの会」を結成。木下の『夕鶴』が折からの左派からの「民俗学」再評価ととも結びついて記念碑的な作品となる。
1965年には「山本安英の会」の一人会員にて設立。ただし、木下順二、加藤周一、内田義彦、丸山眞男など非共産主義の「戦後民主主義者」達とも交流した。
従って、演劇の世界での「非共産主義」戦後思想を代表するのは、山本安英と木下順二、ということになるだろう。
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