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元々のトロッコ問題(トラム問題)には対となる問題があって、
> 暴徒が判事のところに詰めかけて「あの事件の犯人を見つけて処刑しろ、さもなくば5人の人質を殺す」と言ったが犯人がわからないとき、判事は無実の人間に濡れ衣を着せて処刑すべきか、
というものである。この本の第2章。
Philippa Foot, “The Problem of Abortion and the Doctrine of the Double Effect”, Virtues and Vices: And Other Essays in Moral philosophy (English Edition), Oxford University Press, 2002.
https://global.oup.com/academic/product/virtues-and-vices-9780199252862https://www.amazon.co.jp/dp/B00318COXY初出はOxford Reviewに載った単体の論文(1967年。未読)。
この本だと、トロッコ問題では1人を犠牲にするのが当然で、判事の問題では5人を見捨てるのが普通である、という前提で話が進んでいる。
その理由の古典的な説明としては、5人を救うための副作用として1人が死ぬのは許容できるが、5人を救うための手段として1人を殺すのはダメというもので、例えばトラム問題で1人の作業員がたまたま助かった場合、わざわざトラムを降りてバールで殴って殺したりはしないが、判事問題で死刑執行に失敗したら死刑執行をやり直すだろう、という違いがある。ちなみに本当に「バールで殴り殺す(brain him with a crowbar)」って原文に書いてある。
著者はこの考えをさらに発展させて、我々は他人に危害を与えない義務(消極的な義務)は強く負っているが他人を援助する義務(積極的な義務)はそれほど負っていない、という考えを出し、それを元に人工妊娠中絶が許容される条件と理由を出している。
他には飛行機が墜落しそうなときに人口の少ない地域に落とすべきかとか、5人分の薬を必要とする患者を見捨てるべきかとか、1人を殺してその体から薬を作るべきかとか、子供を餓死させるのと毒を飲ませるのは両方とも悪いが、発展途上国の食糧不足を看過するのと毒を送るのは悪さに大きな差があるとか、暴君が「お前がこいつを拷問しろ、さもなくば俺が別の5人を拷問する」というときに拷問すべきかとか、病院で吸入タイプの薬を発生させると毒ガスが1人の病室に流れ込むときはどうかとか、洞窟で1人が出口に詰まってしまって洪水が迫っているときにダイナマイトで詰まった1人を吹き飛ばすべきかとか、色々な例が載っているし、議論もおもしろい(ただ、個人的には人工妊娠中絶に関する結論部分はあまりしっくりきていない)。
ちなみに判事の例はこの論文が初出ではなく、Henry John McCloskeyによるものらしい(未確認)。カタジナ・デ・ラザリ=ラデク ピーター・シンガー 『功利主義とは何か』 森村進 森村たまき 訳、岩波書店、2018年、p. 83 第4章 反論。
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