るまたん on Nostr: ...
大学でジェンダー論をやっていると、2シーズンに一人くらい、「児童性愛も多様なセクシャリティの一つとして認めるべきではないですか」という質問をしてくる学生がいる。
僕の回答は大体こんな感じ。
1 児童性愛も確かに多様なセクシャリティの一つではある。したがって、その存在を否定することはできない。しかし、社会がその表現を無条件に認めるべきかどうかは話が別である。
2 セクシャリティの表現の規制は人権との関わりにおいて検討されるべきである。児童性愛の場合は合意形成にかかわる。
定義上、児童とは性的な未成年者であり、性的な自己決定が十全にできない。自己決定を十全にできない人との間に合意を形成することはできない。
3 したがって、児童性愛についての欲望は、実在する人間との間に展開される場合はこれを禁止せざるを得ない。これは、直接の性交渉だけでなく、あらゆる性的消費についても同様である。
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