カオルさん on Nostr: ...
「お世話をしていればすぐに懐きますよ」と花屋の店員にそそのかされ、お手入れセットと共にお迎えした盆栽くんは、もう2週間も経つというのに一向に懐く気配がなかった。
店頭の小さなディスプレイで流れていた紹介動画によると、盆栽くんは植物であるにも関わらず、まるで人間と意思疎通が出来ているかのように振る舞うという。
懐いてくると色艶がよくなり、やがて花を咲かせる。世話をする人間の愛情で姿を変えるのだと、いかにも情緒を煽る文言で動画は締めくくられた。チープだなと頭では思いつつも、どうしようもなく惹きつけられてしまったのは、疲れていたからだろうか。
家に植物を置きたかったし、盆栽くんなら寂しさも紛れるかもしれないと思って店員に声をかけた。想像していたよりは高くついたが、ペットを飼うのに比べればなんてことはない。ちょっと……いや、正直に言おう。かなりワクワクしながら、車の後部座席でシートベルトをかけ家まで運んだ。
しかしそれから、ずーっと、何も変わらないのである。
盆栽くんは店に居たときと寸分違わず、ぼーっとした表情で虚空を見つめている。
手入れが不足かと思い店員にも相談したが、普段の手順で全く問題ないという。日当たりなどの環境も説明したが、それも関係ないようで、結局のところ「個体差がある」という話に落ち着き、なにも解決はしなかった。一応、気の毒そうにはしてくれたが……お手上げということなのだろう。
しかし、見返りがないからといって世話をしないのも自分の主義に反するし、そもそも単純に、ただの植物が欲しいという目的で花屋へ向かったわけであるので、多少のガッカリ感はありつつも(ここは誤魔化さない)その気持ちは胸に秘め手入れをした。やがて、やはり部屋に緑があるのは良いなと思えるようにもなってきた。
盆栽くんを迎えてから3週間、土曜の朝。
いつものように手入れのために用具の準備をしていると、ふと盆栽くんの様子が普段と違うことに気付いた。いや、盆栽くん自体は何も変わっていない。相変わらずぼーっと虚空を見つめているが、その頭上に頂く蕾がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ開いて、鮮やかな色を覗かせている。
「わ~っ……。たぁ~~!?!?」 と、変な声を上げてしまう。その時脳裏に浮かんだのは、よりによってあのチープな紹介動画のトドメの文言、
『愛』 であった。
愛が、愛が通じてしまった、ようやっと。舞い上がってしまい霧吹きを取り落とし、びしゃびしゃに濡れた床はひとまず、足元にあったマットをつま先で寄せて応急処置とする。そんなことより愛情の、結晶を。この目で。
開きかけていた蕾は幻ではなく、やがて大きく……花開く気配すら見せている。いや、きっともう、開いてしまうだろう。盆栽くんの表情こそまるで変わっていないが、来るべき時が来たのだ。
感極まって話しかけてしまう。何の反応もないとわかっているのに。
「ありがとう、かわいい、ありがとう……嬉しい~~……」
じんわりと、その感情、その気持ちを堪能したのちに、さあそれならば、早速お手入れを!と振り返ったところで、盆栽くんが喋った。文字通り。
『んえ~~~……???』
蚊の鳴くような、タイヤの空気漏れのような声だった。
びっくりして振り返って、盆栽くんの顔をまじまじと見る。彼はもういちど、同じような声で、さきほどよりもやや長く喋ったあとに、ゆっくりと目蓋を閉じた。そのあとは、薄目を開けたり、閉じたりを繰り返している。
表情筋がないので、感情がわからない。それでもこれは、もしかすると照れているのかもしれない。こちらが声をかけてからたっぷり10秒ほどの間があったはずだが、植物の時間感覚では即答の部類だろう、おそらく。多分。
感謝され、可愛いと褒められ照れたのだと思う。そう思うと、尚更愛おしく感じてきた。
もう一度心の底から本当の気持ちで「ありがとう、かわいい」と繰り返す。盆栽くんも、そこからたっぷり10秒かけて返事をした。今度は短い返事だ。ギュッと目蓋を閉じている。なんてかわいい! 今日は最高の日だ。
ニコニコしながら足元のマットを洗濯かごまで運び、濡れた床を拭き、霧吹きを準備して盆栽くんのもとへ戻ったところ、相変わらず照れたように見える表情の盆栽くんがそこにはいた。
しかしどうにもおかしい。頭上の蕾もまた、ギュッと閉じてしまっているのだ。
「えっ!? ねえねえ!」 思わず声をかけると、やはり10秒ほどして返事があった。良かった、調子が悪いわけではなさそうだ。では何故……。その後もしばらく眺めてみたが、頑なに花開くことは無い。
「えぇ~? さっきのかわいいの、また見せてよ~……」
思わず漏らすが、それを聞いた盆栽くんはたっぷり10秒経ってから、ますます照れたような様子で瞬きをした。そしてますます蕾も、ギュッと固く閉じてしまうのであった。
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2024-01-16 05:59:27Event JSON
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